「・・・立ったな」
「立った」
「立ったね」
「立ちましたわね」
「ああ、立った」
「・・・忌々しいけど立ったわ」
後方から一歩も動く事無く見つめていた『六師』が雄叫びを上げながら立ち上がる士郎に同じ感想を告げる。
「あれだけの力の差を見せ付けられて未だ心は折れずか・・・確かに奴の魂は強い」
「ああ確かに。それは認めるしかねえな・・・だけどよ」
「うん、そうだね」
「あれは・・・ただ立っただけだ」
『地師』の断言に全員がただ頷いていた。
三十五『異次元抽出』
『六師』の断言は士郎に酷だろうか?
いや、残酷なまでに事実を指し示していた。
固有時制御の反動による深刻なダメージに追い討ちをかける様に天馬と『神威の車輪(ゴルティアス・ホイール)』の突撃の追加ダメージ。
この二つによって、身体の内部はぼろぼろ、未だ生きている事も奇跡だが、立ち上がれた事は更なる奇跡の類。
今の士郎に戦う事はおろか、歩き出す余力も無い、立つ事だけに全力を注いでいた。
士郎は気を抜けば意識を手離しかねない程追い詰められている。
しかし、それを察しているはずの『影』は一向に影の軍勢をこちらに差し向けようとしない。
「・・・どう・・・言う事だ・・・このまま攻めれば、・・・俺なんか・・・簡単に殺せるだろう・・・」
息も絶え絶えで、言葉も途切れさせながら、士郎は問いかける。
「・・・確かに今のお前に我が軍勢を退ける力はない。容易く屠れよう・・・だが、これだけは聞いておきたい事がある」
「聞きたい・・・事・・・」
「そうだ。返事等予測はついているが、これを聞かねば間違いなく俺は悔いるだろうからな・・・『錬剣師』どうだ、俺と共に陛下にお仕えする気は無いか?」
「な、何を言っているのですか!」
それに最初に返事をしたのは自分の影と懸命に戦うアルトリアだった。
「旦那!何言っている!魔術使いを生かしておけば間違いなく後々の災厄になりかねないんだぜ!」
続いて『風師』が異を唱える。
そんな抗議の声を受けても『影』の表情に変化は無い。
「どうだ?お前が俺の背中を守ってくれるのならば俺にもう怖れるものは何も無い。俺は前だけを見て戦う事が出来る。待遇も俺の側近として重用するが」
「・・・返事は・・・わかっているんだろう?」
「ああ、判っている。だが、それでもお前の言葉で返事を聞きたい」
「そうか・・・じゃあ、改めて・・・答える・・・返事は・・ノーだ・・・例え・・・ここで死ぬと・・・しても・・・俺は・・・首を縦には・・・振れない・・・自分を裏切れない・・・」
「そうか・・・」
その言葉に『影』は落胆も怒りも無い。
当然とばかりに一つ頷く。
むしろ首を縦に振ったら『影』は士郎に失望しただろう。
「それでこそお前だ『錬剣師』。お前の強き魂に相応しい返事だ。これで俺も未練は無い。俺は最大級の礼儀でお前の魂に報いよう・・・この帝国内の最大の戦力を持って・・・お前を葬り去る」
その瞬間、士郎と対峙していた影の軍勢がアルトリア達の目の前に現れ一斉に攻撃を開始する。
一方、入れ替わる様に今まで戦闘を繰り広げていた英霊の影達に加え、ギルガメッシュ、佐々木小次郎、ハサン・サッバーハの影も現れ士郎と対峙、一斉に彼らの宝具がそれぞれ唸りを上げ始める。
「は、ははは・・・過剰だろう?『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』、『騎英の手綱(ベルレフォーン)』、『射殺す百頭(ナインライブス)』、『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』、『大なる激情(モラルタ)』、『小なる激情(ベガルタ)』、『遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)』なんて・・・どう考えても死にぞこないの人間一人にこの火力は」
訂正と追加を言えばメディアは魔力砲を最大出力で放とうとしているし、セタンタの影が行おうとしているのは『貫き穿つ死雷の槍(ゲイ・ボルグ)』、そしてギルガメッシュは『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』、小次郎は燕返しの構えを取り、ハサンは『妄想心音(ザバーニーヤ)』開放の為に腕を解き放っている。
どう考えても一人の、それも瀕死の人間に行使しようとしている量の攻撃ではない。
死ぬと言う感覚を覚える前に肉体は消滅する。
「まずいのう、あの量、今のエミヤに耐えられるものではあるまい」
「のんきに言ってる場合か!!俺達でもやべえぞあれは!俺達に加えて金ぴか野郎までいるんだぞ!」
「速く!!エミヤ殿を助けなければ!」
「しかし・・・この量の影は動くに動けない」
「っ・・・シロウ!逃げて下さい!」
宝具で一掃したいが、それを行わせる時間的余裕すら与えようとはせずに影の軍勢に休み無しの波状攻撃を仕掛けられている事で一歩も先に進めない。
援軍は見込めず、もはや一歩も動けず、士郎の死は確定したも同然。
しかし、そんな中士郎は死の恐怖に直面していない。
希望をまだ見出しているのか?
いや、厳密に言われれば違う。
死の実感がどうしても湧かないのだ。
そう・・・士郎もまた志貴と同じだった。
死の恐怖というものが致命的に欠落していた。
志貴はかつて銃弾で死の淵を彷徨った時に、そして士郎は、あの大火災が引き金となったのが間違いない。
士郎にあの時、そしてその以前の詳しい記憶は殆ど残されていない。
鮮明に残されている最古の記憶は炎の狭間を這うように進んだ事、消し炭と化した死体、息も絶え絶えな人々を見捨てて、ただ生き残る為に進み続けた事。
その極限状態が士郎から幼少の記憶を削り落とし死の恐怖諸共心をも灰としていった。
やがて息をするのも困難となりその場に倒れる。
もう一歩も動く事は出来ず、周囲にはようやく動きを止めた獲物を焼き尽くそうと迫り来る。
このまま焼け死ぬのかとどこかでは達観した思いもあったが、身体は未だ生きたいと願い続けた。
力を振り絞って伸ばした手も力無く大地に落ちようとした時、士郎の手は誰かに握られ、士郎の視界には今にも泣き出しそうなほど歓喜の表情を湛えた切嗣がいた・・・と今までは思っていた。
しかし、あの時切嗣は言っていた、自分は何かを使い炎を消し飛ばし、その後始めて切嗣によって助けられたのだと。
しかし士郎の記憶にそのような事も、ましてやその後に起きた切嗣と謎の人影との口論の事なぞ欠片も存在していない。
宝具発動が目前と迫る今一瞬だけ、それが自分の力となれば良いがと考えたが、何の記憶も無いのでそれが何であるのか、どれだけの力なのかもわからない以上、未確定要素が強すぎる。
内心、
(ここまでか・・・)
と諦めかけた士郎だったが、そんな士郎の僅かな思いにあの時と同じ様に肉体が応えた。
倒れているのと立ち上がっているのと違いはあるがあの時と同じく手を伸ばす。
自分の意思とは無関係に魂の奥底に刻まれた記憶が士郎にそれを唱えさせた。
「・・・異次元(ディメンション)・・・抽出(トレース)」
同時に士郎の伸ばした右手が消失していき、最終的には腕諸共肩口まで掻き消えた。
同時に士郎の全身から血が噴出す。
「ひっ!!」
「先輩!」
後ろから突然の出血にイリヤと桜の悲鳴を漏らす。
「!!・・・ありゃあ全身の毛細血管が破裂したか?」
「何を・・・やろうと言う気だ?」
全身を絶え間なく襲う激痛に比べれば毛細血管の破裂等大した痛みではない。
だが、その衝撃で一瞬倒れこみそうになる。
それを気力だけでかろうじて堪える。
ここで倒れればもう二度と立ち上がれない事を誰よりも理解していた。
そうこうしている内にも・・・いよいよ、影の英霊軍団の宝具一斉発動・・・すなわち士郎消滅は目前まで迫っていた。
そこは・・・正真正銘の静寂の世界だった。
何一つ動くものは無く、ただ無尽蔵の剣が突き刺さった世界。
自然界の騒音すら一つも無く埃の落ちる音すら大きく聞こえる場所。
そんな静寂を破るひときわ大きな音がこの空間に響く。
空間が割れ、割れた空間から血まみれの手が伸ばされる。
その手はそれを握るのが当然であるかのようにそこにあった一本の剣を握る。
剣も、握られる事が当然であるようにその手に吸い付く。
剣を握った手は突き刺さった地面から剣を引き抜き、空間の割れ目に剣諸共吸い込まれる様に消えていった。
それを合図である様に割れ目は塞がり、後には再びの静寂を取り戻した空間だけがあった。
肩口まで消えていた士郎の右腕が、再び姿を現した。
「ん?何だありゃ」
思わず『風師』が声に出すがそれは敵味方問わぬ全員の心境だった。
その時士郎の右手には一本の奇怪な剣が握られていた。
形状はごく一般的なロングソード、派手な装飾も施されたわけでもない、ありふれた剣。
では何が奇怪なのか?それはその剣の色にあった。
剣の右半分は光を結晶としたかのような純白の刀身、しかし、左半分は闇を練り固めたかのような漆黒。
まるで半分に切り分けた二つの刀身を溶接したかの様な剣。
いや、刀身だけではない。
鍔も柄も、この剣を構成する全てのパーツが中央から真っ二つに右半分は純白、左半分は漆黒に別けられていた。
全員が状況の把握に四苦八苦するが当事者達はそのような困惑とは無縁だった。
士郎は、本能でこの剣がかつて自分を救った剣なのだと理解していたし、『影』は士郎の持つ剣の危険性を誰よりも速く理解していた。
それも、この世界における全ての人々の影を使う事が出来る『影の帝国(シャーテン・ライヒ)』を展開していたからこそ判った事。
間違いなく宝具であるだろうが、あの剣はこの世界の剣ではない。
ありとあらゆる英霊や英雄、猛者に凡人の影を調べたがあの剣に該当する物を誰一人として持っていなかった。
(すなわちあの剣は異世界の代物・・・その宝具を投影したと言うのか・・・だとするならば奴は既に・・・)
剣に限定して言えは、とっくに人が上り詰められる極限まで士郎は行き着いていたと言う事実。
ここに来てこれだけの英霊の一斉攻撃で士郎を葬ろうとした事が完全に仇となった。
影の英霊達は『影』が命じれば宝具使用も出来るが供給される魔力は自分達ではなくあくまでも『影の帝国(シャーテン・ライヒ)』からのもの。
一人、二人ならばまだしも総勢十名の最強宝具、最大出力による一斉攻撃ともなれば供給しなければならない魔力量も桁違いだしその量もある程度、分散される。
普通であればそれほど致命的な時間の浪費ではないはずだった。
その考えは甘かった。
士郎がとんでもない代物をこの地に出現させる程の時間を与えてしまったのだから。
『影』としては強きものに対する礼儀として自身の最大規模の攻撃で終止符を打とうとしていただけだった。
だが、結果としては士郎に逆転の可能性を与えたも同然。
「こいつが・・・俺の最後の切り札・・・これに全てを・・・賭ける・・・全封印魔術回路完全開放(マジック・サーキット・オールナンバーフルオープン)!」
詠唱と共に士郎は初めて全ての魔術回路を開放、それを余す事無く剣に注ぎ込む。
同時に剣からは右半分からは純白の光が、左半分からは漆黒の闇が螺旋を描き、渦を生み出す。
しかし、この時、影の英霊が全ての宝具発動準備を完了させた。
今なら間に合う、こちらの方がまだ速い。
そう判断を下した『影』は
「影達よ!己の最強の一撃をもって我が最強の敵を葬れ!」
号令と共に、全ての一撃が士郎に集約する。
その瞬間、士郎も発動準備が整い真名を声高々と謳い上げる。
「ああああああ!!交錯する絶望と希望分かつ(スパイラル)!」
傷付いているとはとても思えない力強い踏み込みで上から下へと振り下ろす。
「運命の裁断(フェイト・ブリンガー)!!」
同時に発せられた光と闇が螺旋を描く斬撃は先頭を走っていた小次郎とハサン、そしてディルムッドの影を瞬く間に消滅させ、イスカンダルとメドゥーサと激突。
しばし拮抗するかと思いきや、突如『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』の斬撃の威力が膨れ上がり、戦車と天馬を吹き飛ばし消し飛ばす。
メディアの魔力砲すら退け、『影』に一気に迫るかにも思われたがそこにアルトリアの『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』、ギルガメッシュの『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』、ヘラクレスの『射殺す百頭(ナインライブス)』がぶつかる。
最高ランク、それも三つの宝具の同時攻撃に著しく押されそのままの勢いで士郎を消し飛ばすかに思えたがその時また『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』の威力が膨れ上がり、押し返し始める。
「おい、どう言うこったこりゃ!少なくても二回は跳ね上がったぞ士郎の宝具」
「そのような事見なくても判ります!ですがシロウもぎりぎりのはず・・・一体何処からそんな力が」
英霊達の困惑を尻目に士郎と影の三英霊の宝具のぶつかり合いは丁度中間地点で完全に拮抗していた。
だが、そこに今度は影の雷が加勢に加わる。
セタンタの『貫き穿つ死雷の槍(ゲイ・ボルグ)』の加勢に再び押し返す。
士郎の『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』は膨れ上がる事無くそのままじりじり追い詰められる。
もはや『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』の威力上昇は見込めない。
実は『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』には担い手が発動前に魔力を注ぎ込むのとは別に周辺一帯に存在する希望と絶望を魔力に変換して威力を上げる特性がある。
そのため、長期戦になればなるほど『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』は威力を増していき、発動直前ではA+、対城宝具クラスだったのが、最大ではEX、対界宝具にまで力を高める事が出来る。
そして今の状態がそのEX,最大出力状態だった。
しかし、その『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』をもってしても、英霊四名分の宝具、それも全てランクA以上の宝具との激突は分が悪い。
一時とはいえ拮抗まで持ち込めた事でも上出来と言える。
更には士郎自身も限界を超えていた。
一連の動作で肺の傷が更に広がり呼吸も困難となり、剣を握る手にも握力がなくなりつつある。
何よりも脚は完全に膝が笑い、姿勢を保つ事も困難、立つから中腰ほどにまでかがんでいる。
そんな士郎の状態を示すように、『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』は威力を徐々に弱め、それに比例するように英霊達の宝具は押し返されていく。
このままで士郎は四英霊の宝具に呑み込まれて消滅は免れない。
逃げる力も無い士郎の命運はここに尽きたかに思われた。
だが、事態は再びひっくり返る。
突然、影の英霊達の姿が薄れそれに伴い宝具の勢いも急速に弱まる。
その答えは頭上にあった。
『影の帝国(シャーテン・ライヒ)』が崩壊を始め、天空は殆どが壊れて現実世界が見え隠れしている。
その崩壊は瞬く間に『固有世界』全域に広がりつつある。
何故か?
その答えは単純明快、ぶつかり合った宝具の種類がいかんせん悪すぎた。
何しろ『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』は天地を分断した伝説をも持つ世界に一本だけの剣、エアの最大出力による一撃、それに加えて『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』もまた威力が膨れ上がり激突時には対界宝具にまでその領域を高めていた。
加えて、いくら『固有世界』が世界に存在を認められたものだとしても、結局は心象世界である事に変わりは無い。
そこへ対界宝具と対界宝具、それがぶつかればどうなるか、世界自体の崩壊は自明の理だった。
『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』も威力を相当落としているが、影の英霊達のそれは遥かに速くもはやいつ消え失せてもおかしくない。
もはや意識を保っているのかも怪しい士郎が剣を改めて振り上げて、倒れ込む様に剣を振り下ろす。
『影』に目掛けて、『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』の残滓が叩き込まれるのと、『影の帝国(シャーテン・ライヒ)』が完全に崩壊したのは同時だった。
崩壊と共に周辺は偽りの闇が支配するロンドン郊外に戻り、『影』のいると思われる場所は夥しい土煙が舞い上がり、闇と重なって全く『影』の様子を窺い知る事は出来ない。
「なんて奴だ・・・『影の帝国(シャーテン・ライヒ)』を破壊しやがった・・・って言うか、旦那!!」
『風師』が飛び出し、『影』がいると思われる土煙の中心地に向おうとする。
それに弾かれるように、よもや想定すらしていなかった『影の帝国(シャーテン・ライヒ)』の崩壊に立ち会い呆然としていた残り『五師』も『風師』の後を追う。
一方、士郎はと言えば・・・倒れ伏したままピクリとも動かない。
いつの間にか手に握られていた筈の『交錯する絶望と希望分かつ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』は消え失せていた。
「シロウ!」
アルトリアがいち早く駆け寄り士郎を抱き起こす。
しかし、士郎の呼吸は止まるのではと思うほど弱々しく、脈もか細い。
もはや今の士郎は死に逝く人間のそれだった。
「そ、そんな・・・シロウ!シロウ!」
アルトリアの必死の呼びかけにも全く反応はない。
一方、『六師』はと言えば、ようやく『影』を見つけ出すが、その姿は壮絶なものだった。
右の肩口から下へと円を描くように削ぎ落とされ、右腕は丸々消滅し、胴体部分も三分の一が抉られ、右脚は膝から下は無事だったが、腿部分は半分が消え失せ、夥しい出血が大地を真紅に染め上げる。
「兄上、兄上!・・・い、いやあああああああ!!」
兄の重傷に狼狽する『闇師』。
過剰なほど動揺した『闇師』を見て逆に冷静になったのは他の『五師』、特に『風師』はいつもより少し切羽詰った声で『影』に呼びかける。
「旦那!」
「・・・ああ・・・『風師』悪いな、侮っていたつもりは無かったんだが・・・」
「んな事はどうでも良いって!それよりも怪我は・・・」
「少なくても無事ではないな・・・それよりも・・・」
そう言うと誰がどう見ても重傷の身体を押して、士郎に歩み寄る。
それを察してか、アルトリア達が、一斉に武器を構える。
「・・虚勢を張るな。お前達、まだ麻痺の影響が残っているだろう」
とても重傷とは思えない静かな声の『影』に押されながら、『影』の指摘に数名が呻く。
確かに、未だ麻痺の影響は残り、宝具開放等出来そうに無い。
更に向こう側は無傷の『六師』が控えている。
その事を考えるととても仕掛ける気にはなれない。
「奴に・・・『錬剣師』に・・・いや、もはやこの呼び名奴には相応しくない。『剣の王』に伝えてくれ。今回は引き分けだ。次に合間見える時はお互い頂に手が届いているはず。その時に全ての決着をつけようとな」
『影』の伝言に誰も返答はしない。
アルトリアが代表して唯一つ頷くだけだった。
「頼む・・・」
そう言って『影』も糸が切れたように倒れる。
「おっと、旦那」
それをすばやく『風師』が抱きかかえる。
「世話を・・・かける」
そう言って『影』は意識を失った。
「気失っただけか・・・おい全員『闇千年城』に帰るぜ。急いで旦那の手当てしないと」
その呼びかけに頷き、真っ先に姿を消した『風師』を筆頭に、次々と姿を消していく『六師』。
そして最後に残った『闇師』はアルトリア達の後ろで倒れる士郎を憎々しげに睨み付けたが、一つ溜息をはく。
「兄上を傷つけただけでも万死に値するけど、あんたは少なくても兄上と真正面から戦った。それだけは認めてやる。それに免じて、もうあんたに手は出さない。せいぜい傷を治して兄上の前に今度こそ屍を晒すがいいわ・・・『剣の王』」
そう言って『闇師』もまた姿を消した。
「行ったか・・・」
ようやく全員の気配が消えた所でセタンタが疲れた溜息を出して腰を下ろす。
「いやはや、今回はまずかったのお・・・エミヤがこなければ今頃全員生首を晒しておったわ」
イスカンダルの言葉は明確な事実だ。
士郎が現れなければ『影』は自分達の首を刎ねて、その上でロンドンに侵攻しただろう。
そうなればロンドンが陥落したのは想像に難くない。
その『影』を退けた今、その余勢を駆って撤退する『六王権』軍に追撃を加えたい所だが、現状『六王権』軍を追撃できる戦力はここにはない。
魔術師達は魔力の大半を失い、英霊達も麻痺の影響で動きもぎこちない。
そしてこの戦い最大の功労者である士郎は・・・死の半歩手前にいた。
「シロウ!眼を覚ましてよシロウ!」
駆け寄ってきたイリヤが必死に揺さぶろうとする。
だが、それを凛が止める。
「待ちなさい!あんた、そんな事したらこいつの死を早めるわよ!」
「姉さんどういう事ですか?」
「こいつ、たぶん全身の骨が折れている上に折れた骨が肺を傷付けている。それに下手したら心臓にも刺さっているかも・・・」
口調は淡々と、だが、その指先は小刻みに震わせながら凜は士郎の容態を診察していく。
「脈ももう、弱々しいし・・・なんでよ・・・なんでこいつここまでして戦ったのよ!この馬鹿!!」
アスファルトの地面を殴りつけて怒りを一旦吐き出す。
「それよりもリン、早く手当てしないと!」
「無理よ。ここまで酷いともう手の施しようも無い。ほんの少しだけ延命させるのが関の山、私達にこいつを助ける術は・・・」
そこまで言ってから思い出したようにアルトリアに視線を向ける。
「アルトリア!貴女の『全て遠き理想郷(アヴァロン)』は・・・そうか・・・」
名案とばかりにアルトリアに視線を向けるが声も希望の色も急速に萎む。
「すいません・・・リン、まだ麻痺の影響が残っているので、鞘を出す事すら・・・」
アルトリアもまた、自らの無力さを呪いながら血を吐くように告げる。
後しばらくすれば麻痺も消えるだろうが、そのしばらくの間士郎が持ちこたえる可能性など無い。
その時には士郎は間違いなく死亡している。
いくら奇跡に等しい治癒能力を誇る『全て遠き理想郷(アヴァロン)』でも死人を生き返らせる能力など持ち合わせていない。
そんな絶望的状況を前に、己の無力さを呪いながらもう一度アスファルトを殴りつける凛。
その拍子に懐から大粒のルビーの首飾りが零れ落ちる。
「??・・・!!」
それを見て最初何かわからなかったが、直ぐに理解する。
それは間違いなく、聖杯戦争の切り札として、第四次終戦後から自分の魔力を溜め込み続けてきたあの宝石。
結局聖杯戦争自体は士郎というイレギュラーに加えて、大本『大聖杯』自体が崩壊した事でこれを使う機会すらないまま、開戦から僅か数日で終結。
その後も凜は宝石には魔力を注ぎ込み続けてロンドンまで持って来ていたのだ。
「まだ・・・これがある・・・これを使えば士郎の奴も・・・」
だが、そう断言するには余りにも士郎の傷は深く酷い。
無論十一年間欠かす事無く注ぎ込み続けた魔力を信頼していない訳ではないが、士郎の容態を軽視もしていなかった。
だが、躊躇している間にも士郎は確実に死に近づいていく。
もはや迷っている場合ではない、凜はこの宝石に全てを賭けた。
「姉さん、それは!」
「ええ、これを使うわ。それに私の中に残っている僅かの魔力も上乗せする。そうすればこいつを助けられる方に少しでも天秤は傾くはず」
そう言いながら宝石を握り締め士郎の胸部の中心にかざす。
その凛の手の甲にそっと添えられる手があった。
「桜?」
「姉さん、私も手伝います。私も先輩に死んでほしくない。私のほんの少しでもそれが先輩を助けられる力になるなら私も」
「じゃあ私もしなきゃ」
そう言ってその上にイリヤの手が重ねられた。
「イリヤ・・・」
「私もリンやサクラと同じよ。シロウはここで死んでいい筈ない。あれだけがんばってきたんだし。それに聞きたい事もあるから」
「それでは私も・・・まあ、本当に僅かでしょうが」
そう言ってカレンの手も加わる。
「格好だけと見ていただいても結構です。私の魔力なんて雀ところか蚊の涙ほどもないでしょうから」
「十分よ。本当に僅かでもこの馬鹿を引き戻せられる力になるんなら・・・じゃあ始める」
「お待ちなさいトオサカ、まさか私の事お忘れではないでしょうね」
始めようとした凛の言葉を遮りながら、やや乱暴にルヴィアの手も乗った。
「シェロには、聞きたい事もございます。それにシェロは、私の従者候補でもありますので」
「待ちなさい、ルヴィア、どうしてあんたに士郎を従者としてやらないといけないのよ」
いつもの調子で凛とルヴィアの口喧嘩が始まりかけたが、今はそれ所ではない事を思い出し双方共に自重する。
「・・・まあ士郎を助ける意思があるんなら歓迎するけど・・・じゃあ今度こそ」
「待ちなさい、私もその賭けに興じる事にします」
そう言って更に加わった人物は意外な人物だった。
「バルトメロイ・・・何で」
士郎を助ける為に加勢したにも関わらず皆、呆然とその人物・・・バルトメロイに注目する。
彼女は士郎を殊更敵視、いや、憎悪や殺意すら抱いていたはず。
邪魔をするのならばまだしも、士郎を助けるとは何故・・・
「この男を殺しエミヤを滅ぼすのは私だからですよ」
全員の考えを読むように、ただ一言そう言って極寒の笑みを浮かべる。
一瞬加わってもらうか躊躇したが、迷っている時間はもう無い。
内心がどうあれ、士郎を助けると言うのならばその力を借りよう。
「リン、私にも手伝わせてください」
「私も加勢します」
そう言って最後にアルトリア、メドゥーサの手が乗せられた所で、開始される。
「じゃあ行くわよ。アルトリア、メドゥーサ以外はありったけの魔力全部を注いで。二人はなるべく加減して。下手すると宝石の方が壊れるかもしれないから」
そう言ってから凛は宝石から魔力を開放する。
「士郎!これだけ迷惑かけたんだから、意地でも・・・這ってでも戻って来い!!」
凛の台詞は全員の共通した心境だった。
翌日、ようやくイスタンブールの事後処理を終えた志貴がロンドンの病院に現れた。
「おお、志貴来たか・・・志貴その姿は・・・」
出迎えたゼルレッチは全身包帯でぐるぐる巻きにされた志貴の姿に思わず絶句する。
「ああ、ネロ・カオスとの戦闘で派手にやられまして・・・それよりも師匠、士郎の容態は」
「ああ、士郎か・・一先ず良い知らせと悪い知らせがあるが・・・どちらから聞く?」
「では良い知らせから」
「士郎だが一命は取り留めた」
その一言にほっとする。
凛達の魔力を込めた宝石は士郎の重傷を完治させる事は出来なかったが、内臓等の命に関わる傷をある程度治し、その後麻痺から立ち直ったアルトリアの『全て遠き理想郷(アヴァロン)』が残りの負傷箇所全てを完治させた。
「それで悪い知らせは?」
「うむ・・・未だ士郎は眼を覚まさぬ」
そう、全ての傷は完治し、命の危険性はなくなったにも拘らず士郎は未だに眼を覚ましていない。
ゼルレッチと共に士郎の病室に向う途中志貴はイスタンブール防衛戦の顛末の報告に入る。
「そうか・・・シュトラウトが・・・」
「はい、アルトルージュのショックも大きいので皆には残ってもらっています」
「イスタンブール防衛に成功したのはせめての幸いだな。それと志貴、お主固有結界を」
「ええ、ネロ・カオスとの戦いの最中に」
自分の事にも拘らず何処までも客観的な志貴の報告を顔色を変えたゼルレッチが途中で止める。
「志貴、その『死神達の楽園(パラダイス・オブ・プルートゥ)』後で構わぬので見せてはもらえぬか」
「は、はい、それはかまいません。ただ、内部から見るのは極めて危険ですので封鎖の外側から見る形になりますがそれでも」
「ああ、それで良い、確認したい事があるからな」
「判りました、それでは後で・・・それよりも師匠アトラス院は・・・」
「それについては未だに新しい情報が入っていない。アトラスの重鎮は院長を殿にして全員脱出したらしいがそれ以降は何も」
「院長を殿にですか?我先に逃げ出したという事ですか?」
「ああ、だが、連絡を取ろうにも通信自体も繋がらなくてな、アトラスが墜ちたのか未だ持ちこたえているのかそれすらも判明していない」
「・・・そうですか、シオンを少しでも安心させてやろうと思ったんですが・・・」
「焦るな。やがて正確な情報も入ってくる。不確定な情報で一喜一憂させるのも問題だぞ」
「ええ、そうですね。待つとします。それと士郎は何時」
「『影』が現れた直後だ。いきなり空間から姿を現したとトオサカ達は言っていた」
「空間転移?でも今ロンドンは」
「ああ、『封印の闇』に覆われている現状では転移は不可能の筈。だが、現実として士郎は現れ『影』と戦った。それも新しい力を身につけて」
「新しい力?」
そんな情報の交換の最中に志貴達は士郎の病室に到着する。
室内に入ると凛達に加えて、七名の英霊が所狭しとばかりに待機している。
「更なる厳戒態勢だな」
「仕方ないわよ。どう言う訳かこの馬鹿、強化と投影以外にもいくつかの魔術使ったんだから、それもコートに刻印を現して」
「それに改めて見て確信したわ。シロウが着ていたコート、あれ間違いなくキリツグのコートよ」
「それにしても・・・これはシロウの投影で創り出したものではなさそうですが一体シロウは何処からこの様なものを」
凛の半ば呆れ、半ばは怒りの表情で、イリヤが疑問に満ちた表情でかけられたロングコートに視線を投げかける。
またアルトリアはコートの内側に収納されていたコンテンダーを手にただひたすら首をひねっていた。
当の士郎はと言えばベットで眠りについている。
点滴を受けてはいないので命に別状はないようだが。
「こいつ本当に眠っているだけ、脳波や呼吸は全て正常、ただ起きないのよ。放って置いたらバルトメロイや今回の事を聞きつけた協会が何をやらかすかわからないから交代で護衛に当ってもらっている訳よ」
「よっぽどな事をやらかしたと言う事か士郎の奴・・・今まで何処にいたのかも含めてまとめて聞き出さないとな」
「どちらにしても全てはこやつが眼を覚ましてからだが」
ゼルレッチの言葉に全員が頷いた。
こうして、人類側の重要防衛拠点、アトラス院、イスタンブール、ロンドンを舞台にした『蒼黒戦争』最大規模の会戦、通称『トライアングル・ウォーズ』は幕を閉じた。
この三つの会戦における被害は双方とも膨大なものだった。
まず『アトラス院攻防戦』での主だった被害を上げれば、人類側はエジプトカイロに残留していた一般市民四十万以上が死亡、ないし死者に加えられ、更にアトラス院は陥落、その際、防衛部隊は全滅。
おまけに後日判明した事だが、アトラス院の重役のうち最後に脱出した院長以外は運悪く『六王権』軍空軍に発見され全員死亡、アトラス院は人的資源の点でも致命的な損害を被った。
しかし、『六王権』軍の被害はこれ以上。
北アフリカ方面軍とカイロにて加えた新たな死者を含めた総勢三十万の軍団の九割以上を永久に失いその為にエジプトスエズ付近まで伸ばしていた戦線をアルジェリア、リビア、チュニジアの三国の国境線の近くの都市カダーミスにまで後退、なれぬ防衛体制を整えようとしていた。
また『イスタンブール防衛戦』では、人類側は教会代行者は内二割、国連軍も前線に出ていた部隊の実に四割を永久に失ったに留まらず人類側の貴重な戦力である、死徒二十七祖第六位、リィゾ・バール・シュトラウトが戦死の結果を生んだ。
『六王権』軍はイスタンブール攻略軍は壊滅、更には二十七祖第十位ネロ・カオス、第十八位エンハウンスをも失った。
最後の『第三次倫敦攻防戦』では、人類側に重要人物の戦死やロンドン陥落こそなかったが、フリーランスを中心とした魔術師部隊は序盤戦の命令無視による突出、更に敗走する『六王権』軍を追撃したが、後詰めに任に就いていたリタの軍勢にしたたかな迎撃を被り、合計で全体の四割が戦死、イギリス軍を主力とした国連軍も全体の二割を失った。
一方『六王権』軍も十四位ヴァン・フェムを戦死で失い、新生七大魔城も先の『イタリア撤退戦』で『ブルゼブブ』・『リヴァイアサン』に続いて『マモン』を除く四つの魔城をも失い、止めとばかりに最高側近『影』が負傷した結果を生んだ。
更に侵攻途中での小競り合いや逃げ遅れた民間人など、細かい部分の被害も含めると数日ほどの戦闘の間に主戦場以外では百万から百五十万の死亡ないし、死者に加えられたと言う仮説すらある。
被害こそ甚大であったが、『六王権』軍の三拠点同時進行作戦『バミューダ』作戦は完全な失敗となった。
北アフリカ軍のほぼ全滅に等しい被害を考えればアトラス院陥落等釣り合う筈もなく、イスタンブール、ロンドンは未だに健在。
これを完敗と呼ばすに何を完敗と呼べばよいのか。
この戦いから『蒼黒戦争』の天秤は徐々に『六王権』軍から人類側に移行しつつあった。
激戦期は幕を閉じようとしていた。